参考情報:https://www.youtube.com/watch?v=IACHfKmZMr8
YCは、これまでに数千億ドルもの価値を持つ企業を、アイデア段階から育て上げてきた実績を持つ。そのYCが、最新バッチの創業者たちに「バイブスコーディング」に関するアンケートを実施したことは、この新しい潮流が単なるバズワードではないことを示唆している。
アンケートでは、使用しているツール、ワークフローの変化、ソフトウェアエンジニアリングの未来、そしてエンジニアの役割の変化について質問が投げかけられた。その結果、驚くべき事実が次々と明らかになった。
YCパートナーたちが特に印象的だったと語る創業者の言葉をいくつか紹介しよう。
これらの言葉は、AIがソフトウェア開発にもたらした変革の深さと速さを物語っている。特に注目すべきは、「エンジニア」という役割の定義が変わりつつあるという点だ。
アンケートの結果は、ソフトウェアエンジニアの役割が、単にコードを書くことだけでなく、プロダクトの方向性を決定し、ユーザーのニーズを深く理解する「プロダクトエンジニア」へとシフトしている可能性を示唆している。
YCパートナーのギャリー・タネンバウム氏は、この変化を、エンジニアが自己認識する役割に例え、フロントエンドエンジニアがよりPM(プロダクトマネージャー)的な役割を担うようになっている現状を指摘する。彼らは、GDPという巨大なパイの中で、これまで見過ごされてきた、あるいは十分にサービスが行き届いていなかった部分に目を向け、そこにいる人々が本当に求めているものを探り出し、それをコードに落とし込む。そして、その過程で最も重要なのは、ユーザーからのフィードバックに基づいた評価(Eval)であるという。
かつてタネンバウム氏が運営していたTriplebyteという企業では、エンジニアの技術的な能力だけでなく、「ユーザーと積極的に対話したいかどうか」が、企業とのマッチングにおいて非常に重要な要素だったという。ユーザーとのコミュニケーションを重視し、フィードバックを得ながら改善を繰り返すことを好むエンジニアは、まさに「プロダクトエンジニア」の資質を持つと言えるだろう。
一方、ユーザーとの対話を煩わしく感じ、難しい技術的な問題やバックエンドのリファクタリングに集中したいと考えるエンジニアも存在する。これらは、従来の「バックエンドエンジニア」の役割に近いと言えるだろう。
今回の調査結果は、AIの進化が、エンジニアに対して、プロダクトのセンスを磨き、ユーザーの課題解決に注力するのか、それともシステムの設計や最適化といったアーキテクチャの領域に深く関わるのか、という選択を迫る可能性を示唆している。
驚くべき変化を見せるバイブスコーディングだが、課題も存在する。その一つが、AIコーディングツールが現時点ではデバッグを苦手としている点だ。アンケートでも、多くの創業者がデバッグの難しさを指摘している。
バグの原因を特定し、修正するためには、依然として人間のエンジニアの介入が必要となる。AIに「デバッグして」と指示するだけでは、なかなか期待する結果は得られない。まるで新米のソフトウェアエンジニアに教えるように、非常に具体的な指示を、段階的に与える必要があるという。
この課題に対して、アンドレイ・カルパシー氏が提唱する「バイブスコーディング」のスタイルは、ある意味で斬新だ。それは、バグを無視して、最初からコードを書き直すというアプローチである。人間であれば、長い時間をかけて書いたコードにバグが見つかった場合、通常はそれを修正しようと試みるだろう。しかし、AIを使えば、数秒で数千行のコードを書き直すことができる。この圧倒的な速度は、従来の常識を覆す。
YCパートナーのジャレッド・ハーシュ氏は、このアプローチを、画像生成AIのMidjourneyやPlaygroundで気に入らないアーティファクトが出た場合に、プロンプトを少し変えて何度も生成を試す方法に例える。根本的な原因を追求するのではなく、ランダム性を加えて再生成することで、偶然良い結果が得られるのを期待するという発想は、従来のシステム構築の考え方とは大きく異なる。
もっとも、このアプローチが常に有効とは限らない。特に、複雑なシステムや高い信頼性が求められるシステムにおいては、根本原因を特定し、確実に修正することが不可欠となるだろう。
しかし、希望の光も見えている。YCパートナーのダイアナ・シュー氏は、OpenAIの推論モデルである「O3」が、「3.5」と比較してデバッグ能力が大幅に向上していることを指摘する。今後、推論能力と長文脈処理能力を兼ね備えた新しいモデルが登場すれば、デバッグの課題も克服される可能性は大いにあるだろう。
アンケートの結果は、バイブスコーディングが単なる一時的な流行ではなく、ソフトウェア開発の未来を形作る可能性を強く示唆している。特に驚くべきは、現在のYCバッチの創業者のうち、4分の1が、自分たちのコードベースの95%以上がAIによって生成されたと推定している点だ。しかも、これらの創業者は皆、高い技術力を持つ人物であり、1年前であれば自分たちの手で全てを構築していたはずだという。
この状況は、ソフトウェア開発における「デジタルネイティブ」ならぬ、「AIコーディングネイティブ」の世代の登場を予感させる。彼らは、従来のコンピュータサイエンスの教育を受けていないかもしれないが、数学や物理学といった分野で培った論理的思考力と、AIコーディングツールを使いこなす能力を武器に、驚異的なスピードでプロダクトを開発している。
YCパートナーたちは、この変化を、かつてのプログラミングブートキャンプの隆盛と比較する。当時、物理学などの分野の出身者をプログラマーに転身させようとする試みは、なかなかうまくいかなかった。必要な構文やライブラリを習得するのに時間がかかりすぎたからだ。しかし、AIコーディングツールが登場した今、状況は一変した。
また、YCパートナーのジャレッド・ハーシュ氏は、企業がソフトウェアエンジニアの採用プロセスを見直す動きが、2015年頃から始まっていたことを指摘する。古典的なコンピュータサイエンスの知識やアルゴリズムの理解よりも、実際にコードを速く、効率的に書ける人材を求める傾向が強まっていたという。
このような背景を踏まえると、バイブスコーディングは、この流れをさらに加速させる可能性を秘めていると言えるだろう。
しかし、YCパートナーたちは、バイブスコーディングが万能ではないことも指摘する。特に、プロダクトマーケットフィットを達成し、スケールアップを目指す段階においては、依然として古典的なコンピュータサイエンスの知識や、システム全体を設計・構築する能力が重要となる。
YCパートナーのギャリー・タネンバウム氏は、Railsが登場した当初の議論を例に挙げる。Railsは、迅速なプロトタイピングを可能にする一方で、内部構造を理解せずに使うと、パフォーマンスの低いソフトウェアを生み出す可能性があるという懸念があった。しかし、StripeやGustoといった成功企業は、ツールの生産性を最大限に活かす人材を採用し、成功を収めてきた。
ただし、タネンバウム氏は、Twitterの「クジラ」の例を挙げ、ゼロからイチを生み出すスピードと、それを数百万、数千万のユーザーに耐えうるスケールにまで成長させる能力は、全く異なるスキルセットを必要とすることを示唆する。
YCパートナーのダイアナ・シュー氏は、FacebookがPHPという比較的遅い言語でスタートしながらも、後に高度なシステムエンジニアを採用し、カスタムコンパイラ(HipHop)を開発することでスケーリングの問題を解決した例を挙げる。バイブスコーディングを得意とする人材と、低レベルのシステムエンジニアリングに精通した人材は、異なるタイプの人材であり、現在のAIコーディングツールは、後者の領域ではまだ十分な能力を発揮できていないのが現状だ。
Triplebyteの創業者であり、YCパートナーでもあるギャリー・タネンバウム氏は、もし今再びTriplebyteを立ち上げるなら、エンジニアの採用における評価基準をどのように変えるだろうか。
彼の答えは、まず「何を評価したいのか」を明確にすることだ。StripeやGustoのように、必ずしも古典的なコンピュータサイエンスの知識を必要としない企業であれば、それを評価する必要はない。むしろ、実際に業務で必要となるスキル、例えばプロダクトを迅速に構築する能力などを評価すべきだという。
そして、AIコーディングツールが普及した今、エンジニアの評価においては、これらのツールを使いこなす能力を考慮に入れる必要が出てくるだろう。ただし、従来のTriplebyteの評価問題の多くは、ChatGPTなどのAIに簡単に解けてしまうため、より難易度の高い、あるいはAIでは対応できないような問題を作成する必要があるかもしれない。
タネンバウム氏は、今後重要となるスキルとして、コードを読む能力とデバッグ能力を挙げる。AIが生成したコードの品質を判断し、バグを見つけ出すためには、一定レベルの知識と経験が必要となる。また、プロダクトの良し悪しを判断する「センス」も、これまで以上に重要になるだろう。
YCパートナーのジャレッド・ハーシュ氏は、今後のエンジニアの採用は、実際にコードを書く能力よりも、コードレビューの能力を重視するようになるかもしれないと示唆する。また、システム設計の能力や、プロダクトの方向性を定めるセンスも、重要な評価項目となるだろう。
古典的なコンピュータサイエンスの教育を受けていない「AIコーディングネイティブ」が、どのようにしてプロダクトのセンスを磨くのかは、今後の大きな課題となるだろう。YCパートナーたちは、最終的には、市場からのフィードバック、つまりスタートアップの成否が、そのセンスの良し悪しを証明することになると指摘する。
また、現在の推論モデルはデバッグが得意ではないため、これらのネイティブたちは、いずれシステムの深層に潜り込み、問題を解決する能力を身につける必要に迫られるだろう。その過程で、古典的な知識の重要性を認識する可能性もある。
YCパートナーのダイアナ・シュー氏は、優れた画家であるピカソが、写実的な絵画の基礎を習得した上で、抽象画という新たな境地を開拓した例を挙げる。同様に、AIコーディングネイティブたちも、最初はAIの力を借りて効率的にコードを書くことができるかもしれないが、世界レベルのエンジニア、あるいは成功する創業者になるためには、Deliberate Practice(意図的な練習)を通じて、システムの細部まで理解する努力が必要となるだろう。
今回のYCのポッドキャストは、「バイブスコーディング」という新しい潮流が、ソフトウェア開発の世界に不可逆的な変化をもたらしつつあることを明確に示した。AIの進化によって、コードを書くという行為の価値は相対的に低下し、エンジニアには、プロダクトのセンス、ユーザーの理解、そしてシステム全体の設計能力といった、より高次のスキルが求められるようになるだろう。
「深夜に植えられた巨大な豆の木」のように、突然現れたこの変化に戸惑う人もいるかもしれない。しかし、YCのパートナーたちは、これが一過性のブームではなく、ソフトウェア開発の支配的な方法になると確信している。もしこの波に乗り遅れれば、「置いていかれる」ことになるだろう。
「バイブスコーディングは単なる流行ではない。加速する時が来たのだ。」
YCのパートナーたちのこの言葉は、ソフトウェア開発に関わる全ての人々にとって、重要なメッセージとなるだろう。AIとの協調によって、私たちはこれまで想像もしなかったようなスピードと効率で、新たなソフトウェアを生み出すことができるようになった。この力を最大限に活用し、未来のソフトウェア開発を形作っていくことが、私たちの使命と言えるだろう。